現代の日本企業では、高齢従業員の割合が増加しており、65歳以上の労働者も珍しくなくなっています。高齢化に伴い、認知機能の低下や身体能力の衰えが進むことによって、職場での事故や健康トラブルが発生しやすくなることが指摘されています。産業医に求められる役割は、単に健康診断を行うだけでなく、認知症初期の兆候を把握し、転倒リスクを含めた安全対策を総合的に実施することです。本記事では、高齢従業員の認知症初期対応と転倒リスク予防の両面を中心に、実務で活用できる具体策や事例を詳しく解説します。
高齢従業員における認知症リスクの理解
認知症は加齢とともにリスクが高まり、特に65歳以上では軽度認知障害や初期認知症の兆候が現れることがあります。職場で観察される兆候としては、次のようなものがあります。 ・同じ作業を繰り返し忘れる、手順を間違える ・メールや報告書の記載ミスが増える ・注意力の低下や会話内容の理解不足 ・物の置き場所を忘れる これらは軽微な変化に見えるため、従業員本人や同僚も気づかず、早期対応が遅れるケースが多く見られます。
初期段階での認知機能低下は、業務に直接大きな影響を与えないこともあります。しかし、この段階で気づき、支援策を講じることが、後の重大事故や業務効率低下を防ぐ鍵になります。産業医は、定期健康診断や面接、ストレスチェックの結果、同僚や上司からの情報を総合して、日常業務における変化を慎重に観察する必要があります。
認知症初期対応の具体策
認知症初期対応の実務では、診断よりも「気づき」と「支援」の両立が重要です。具体的なステップは以下の通りです。
1. 業務変化の記録と観察
作業ミスや遅延、報告書の誤りなど日常業務での変化を定期的に記録します。上司や同僚からのフィードバックも取り入れ、客観的に状況を把握します。 2. 本人への負担を最小化した声かけ
指摘の仕方は慎重に行い、本人が不安にならないよう配慮します。必要に応じて専門医への受診を勧めますが、強制ではなく本人の同意を尊重します。 3. 職場支援策の導入
作業手順書の簡略化やチェックリスト、ペア作業などを導入して業務ミスを防ぎます。作業分担や勤務時間の調整も効果的です。
4. 日常的なサポート体制の整備
メモやデジタルツールの活用、業務の標準化、休憩や小休止の確保など、本人が無理なく業務を継続できる環境を整えます。
転倒リスク評価と予防策
高齢従業員にとって、転倒は骨折や長期休職につながる深刻なリスクです。産業医は、歩行能力やバランス、筋力の低下を定期的に評価し、必要に応じて理学療法士やリハビリ専門医に相談します。簡易評価として、片足立ちテスト、立ち上がりテスト、歩行速度測定などがあります。
転倒リスク予防策は、物理的環境と運動習慣の両面で取り組むことが重要です。滑りにくい床材の使用、段差の解消、手すりの設置、十分な照明の確保など、職場の安全環境を整備します。また、椅子・机の高さ調整や作業動線の見直しも有効です。さらに、筋力トレーニングやストレッチ、バランス運動を職場プログラムとして導入することで、転倒リスクを低減できます。
具体的な職場事例
1. 製造業A社の事例
高齢従業員の一部に軽度認知機能低下が見られたため、産業医は作業手順書の見直しとペア作業を導入。さらに、週1回の簡易筋力トレーニングを実施。結果として作業ミスの減少と転倒事故の未然防止に成功しました。
2. オフィス勤務B社の事例
高齢従業員の転倒リスク低減のため、照明改善、段差解消、椅子・机の高さ調整を実施。また、従業員が気軽に相談できる窓口を設置し、認知機能や健康状態の小さな変化も早期に把握可能としました。結果、業務中事故ゼロを維持しています。
高齢従業員の安全・健康管理チェックリスト
- 日常業務で作業ミスや遅延の変化を定期的に観察しているか
- 必要に応じて専門医への受診を促す体制があるか
- 作業手順書やチェックリスト、メモなど認知支援策が導入されているか
- 転倒リスク評価を定期的に行っているか
- 滑りにくい床、段差解消、手すり設置、照明改善など環境対策が実施されているか
- 筋力トレーニングやストレッチなどの健康増進プログラムが提供されているか
- 従業員が気軽に相談できる窓口や支援体制が整備されているか
- 改善後の効果測定やデータ分析が行われているか
- 法的配慮(個人情報保護、過重労働防止)が適切に実施されているか
高齢従業員の認知症初期兆候や転倒リスクは、見過ごされやすく、放置すれば重大事故や健康問題に直結します。産業医は、日常観察・面接・評価・職場環境改善・教育・相談体制のすべてを総合的に活用し、従業員の安全と健康を守るだけでなく、企業の生産性維持や持続可能な働き方の実現にも貢献できます。 小さな改善の積み重ねが、安心して働ける職場づくりにつながることを念頭に置き、日々の実務に取り組むことが重要です。